自己肯定感が低いなら、できたこと日記は逆効果かもしれない
こう見えて(?)、自己肯定感が地を這っているわたし。
ド底辺な自己肯定感を少しでもどうにかしたくて、これまでにいろいろ調べたし、試しもした。
そんな中で試したことの1つに、「できたこと日記」というものがある。
自己肯定感アップの方法としてたまにおすすめされているものだ。
気になる人もいるかもしれないので、実際に効果はあったのか…など、わたしが抱いた赤裸々な感想を綴ってみようと思う。
- そもそも「できたこと日記」って何?
- 実際に「できたこと日記」をやってみた感想
- 自己肯定感が低い人は何をすれば良い?
- 「良かったこと日記」をやるときのポイント
- 「良かったこと日記」におすすめのツールは?メリット・デメリット共に解説
- 自己肯定感が底辺の人は、「良いこと日記」をやってみよう
そもそも「できたこと日記」って何?
「できたこと日記」とは、文字通り、その日に自分ができたことを書き出す日記だ。
自己肯定感を上げるために使われるだけあって、内容は些細なものでも問題ない。どれくらい些細でも良いかと言えば、「朝ご飯をちゃんと食べられた」とか「洗濯物を畳めた」とか、そういう生活の上で当たり前みたいなことでも良いらしい。
このハードルの低さからチャレンジする人も多く、今そこそこ注目のセルフケア法である。
わたしの使っていたアプリ
わたしは以下の2種類のアプリを使い、「できたこと日記」を書いていた。
「Myできたこと日記」は内容の公開・非公開を選べて、「できたログ」は完全に自分専用。なので他の人に見られても良い内容かそうじゃないか、でアプリを使い分けていた。
どちらも使いやすいアプリなのだが、「できたログ」は恐らくiPhoneのみだと思われるのが残念。とは言え、非公開にすれば自分だけしか見られないので、「Myできたこと日記」もなかなかおすすめのアプリだ。
実際に「できたこと日記」をやってみた感想
最初は良かったはずなのに………
始めたばかりの頃は、気持ち良くやれていた。
「よく眠れた」「歩いて帰れた」など、毎日ではないものの、出来得る限りで些細な内容も記録していた。
しかしわたしは気付くべきだった。
初っ端ですでに「毎日は書けない」となっている時点で、間違いなく長続きはしないのだということを。
2~3ヶ月目で、わたしはマトモに書けなくなった。絞り出せなくなったと言うべきか。
その結果、
「書けることがない!!!」=「何もできなかった…」
こんな図式が当然の如く出来上がり、自己肯定感は上がるどころか下がる日々。
こうして記録されなくなった「できたこと日記」系アプリは、いまや大きな出来事以外では開かれることすらなくなったのである。
自己肯定感が下がってしまった理由
「できたこと日記」をやっていたのに、わたしは自己肯定感が下がってしまった。しかし実は、理由は至極単純だった。
そもそも自己肯定感の低い人間は、些細なものを「できたこと」とするのが、とても難しいのだ。
例えば、何か1つできても、「これくらいみんな普通にやってる」と思ってしまう。
あるいは生活の上で必要な行動を、「こんなのやって当たり前」としてできたことのカウントから省いてしまう。
こんな記事を読んでくれている人なら、かなりの確率で、身に覚えのある感情なのではなかろうか。
自己肯定感がある一定のレベルを下回ると、「できたこと日記」はむしろ自己肯定感を下げてしまう可能性がある。何なら「書けないこと」がさらに悪影響となる可能性も否定できない。
そういう意味では、この「できたこと日記」は自己肯定感アップには逆効果で、だとすればやらないほうがマシなのだ。
感謝日記もあまりおすすめできない
上記と同じ理由で、「感謝したいこと」を綴るタイプの日記も、正直おすすめはできない。
これは自分が良い気分になったことなら、人でも出来事でも景色でも、感謝の対象は問わないというお手軽なもの。けれど、考えてみて欲しい。
感謝とは、心に余裕があって初めてできる。自己肯定感が地を這って、自分自身をもロクに認められない状況下で、第三者への素直な感謝など不可能。下手したら「あの人はあんなに良い人なのに自分はダメ」なんて、自分へのネガティブ攻撃がスタートしてしまう。
感謝はできる余裕があれば、自然にできるもの。無理にやるものではないと理解しよう。
自己肯定感が低い人は何をすれば良い?
「できたこと日記」も「感謝日記」も逆効果の可能性がある。とすれば、スーパーネガティブ人間は何をすれば良いのか。
わたしがおすすめしたいのは、「良かったこと日記」。文字通り、その日にあった良かったことを書く日記だ。
他2つと何が違うのか、簡単にまとめてみた。
何もできてなくても書ける
「できたこと」が自分のやった何かに限られるのに対し、「良かったこと」は他者に何かしてもらってうれしかった、偶然起きたラッキー、何となく良い気分になれた出来事など、範囲が幅広い。
範囲が広いが故に、どうにか1個くらいは見つけやすく、書きやすい。書きやすさは、続けやすさにも直結する。(無論、大量に良かったことがあれば、全部書いちゃおう)
続けられれば自己肯定感が上がるかもしれないし、上がらなくても悪い気分にはならない。とりあえず損はないと言えるだろう。
案外悪いことばかりじゃないと思える
人間の脳はもともと、ネガティブな記憶を長期保持しやすい。嫌な記憶ばかりが鮮明に思い出しやすいのは、それが原因だ。
辛い出来事しか思い出せないと、「わたしの人生、悪いことばっかり…」と考えてしまいかねない。
ここで「良かったこと日記」が役に立つ。
日記を見返してみれば、過去の自分が書いた「良かったこと」を、いっぱい見られる。あれが楽しかった、これがおいしかった、何があってうれしかった。長く続ければ続ける程、書かれている内容は多種多様だと思う。
「あなたの人生には、何だかんだ、そんな感じで良いこともいっぱいあったんだよ。悪いばかりじゃないよ」と、日記が教えてくれるのである。
他者のアドバイス等ではしっくり来なくても、過去の自分の実体験なら、多少は受け入れやすい。
自分の人生に若干前向きな気持ちを抱くサポートとして、「良かったこと日記」は大いに役に立つのだ。
「良かったこと日記」をやるときのポイント
「良かったこと日記」をやる際のポイントを3つ、ご紹介。気持ち良く長続きさせるための参考にして頂きたい。
気合いを入れ過ぎない
最初から「やるぞ!続けるぞ!」とは思うべからず。続かなかったら自己肯定感が下がるし、何よりエネルギーが早々に切れてしまう。
継続できるのは、決して当たり前ではない。のんびりゆったり、緩くやっていこう。
書けない日があっても良い
体調が悪くて書けない日や、インパクトの強いネガティブ案件が発生したせいで良かったことを思い出せない日が、誰しもあったり無かったりする。人間だもの。
大事なのは、そんな日があっても良い、と自分を許すこと。書けるようになったら、また書こう。
わたし自身も、書けない日はあった。現在でこそ毎日続けているものの、長期で書けていない時期もあった。
そういうときには、これで良い。
とにかく、自分に甘く、テキトーに。積極的な手抜きが、自己肯定感の保持には大切だぞ!
内容は被ってもOK
まずはこちらをご覧あれ。
揺るぎない被り。連続でほぼ同じ内容。
でも大丈夫。「良かったこと日記」は、内容が何日被っても気にする必要はない。
昨日も今日も明日も明後日も、おいしいものはおいしいし、楽しいことは楽しい。
何日連続しても、本当に良かったことだったなら、遠慮なく書き残そう。
「良かったこと日記」におすすめのツールは?メリット・デメリット共に解説
ノートや日記帳
メリット
- 誰にでも分かりやすく、使いやすい
- 自分の好みで自由にデザインを選べる
- 長期保存をしやすい
デメリット
- 新しく買えば金がかかる
- 手軽さの面でデジタルには負ける
メモ帳
メリット
- ペンケースやポケットに入れて持ち歩ける
- サッと書きやすい
デメリット
- 小さいタイプのメモだといっぱい書けない
アプリ
メリット
- いつでも、どこにでも持ち歩ける
- すぐ書ける
- 消したくなったらアプリ削除であっと言う間にリセットでき、処分の手間も物理的なゴミもない
デメリット
- データが飛ぶとそこで強制リセット
- スマホの容量を多少なりとも圧迫する
- デザインの選択肢は基本的にない
自分に合う方法を見つけよう!
自己肯定感が底辺の人は、「良いこと日記」をやってみよう
自己肯定感がマイナスレベルの人に「できたこと日記」がおすすめできない理由と、「良いこと日記」のメリットを、経験を元に書き連ねてみた。
1度地の底まで下がってしまった自己肯定感を上げるのは、実に難しい。特効薬もなく、地道に1ミクロンずつ、楽なやり方で上げていくしかない。
「良いこと日記」が習慣としてすっかり当たり前になる頃には、「できたこと」や「感謝」を見つけられる日も、ぽつぽつと出てくる。自己評価・自己肯定感は、時間はかかっても絶対に上げられる。
心配に、不安になるかもしれないが、あなたは1人じゃない。あなたの顔も名前も知らない、何者でもないわたしだけど、わたしも「良いこと日記」の継続、がんばっていきます。一緒にがんばろうね。
いつかあなたが、自分を好きと言えますように。